悲しかったこと

私は食に近い勉強をしてることや、小さい頃からのしつけもあって、食べ物を無駄にするのが嫌いです。
人間はたとえ植物であれ命を奪ってるからこそ生きていけるのであり、食べ物に感謝をしつつ美味しくいただくのが命を奪ってることへの責任だと考えています。
ですが私の叔母はよくご飯を残します。
大好きな叔母だけに見ると悲しくなります。
だからこれまで勇気をもって何度も食べ物の大切さを伝えてきました。
…全く通じません。
返ってくる言葉は『私にしてはよく食べたやろ?』です。
そういう問題ではないのです。
旅行中にパンを残していました。
他の親戚は食べれない分は私や兄やいとこに食べて貰っていたのですが、ある料理がまわってきたときに叔母は『食べれないなら残しちゃいなよ』とさらりと言いました。
私は以前あったあることを思い出しました。
いとこが叔母が作ったお蕎麦をどうしても食べきれなかったときに叔母は『捨てちゃいな』とこれまたあっさり言ったのです。
正直そういうことをあっさり言えるのは私には理解できません。
私は環境的に牛や豚のお世話の実習があったり、趣味で野菜を育てたりしています。
命を奪われている牛がとても綺麗な目をしていること、野菜を育てるということがいかに大変かということを知っています。
食べ物はただの『モノ』ではなく『生き物』なのです。
私は叔母が食べ物を残すとき、もやもやします。
そして決まっておかずよりお米やパンなどの炭水化物類を残すのです。
残すものが分かってるんだから、減らしてもらえばいいだけなのです。
ダイエットのために残すなら炭水化物という考えがどこかにあると思います。
私は叔母がもともと食が細いのはわかってるので、無理して食べろと言ってるわけではありません。
食べれる量を考えて、残さない量を注文してほしいと思ってるだけなのです。
軽々しく『捨てちゃいな』とか『残しちゃいな』という言葉ははくものではありません。
でもそれをその食事中に私が最初控えめに注意したら例の答えが返ってきたので、そのあと母が『そんなにパンが多いっていうなら、パンをもらわなかったらいい話じゃない』と言ったら、『じゃあ手をつけなきゃいいのね!今度から一緒に食べるときはもう手をつけない!うるさいから!』と返ってきたのです。
私はかちんときました。それまで我慢してました。でもさすがに堪忍袋の緒が切れたのです。
キツイ言い方をしたと思います。みんながいるときに言ったのも悪かったと思います。
でも私の気持ちを伝えたときに叔母は泣いたのです。
けして反省の涙ではなく、責められたことに対する涙でした。
あぁ、もうダメだと思いました。
何を言っても通じないのです。
腹が立つより悲しかったのです。


そういえば私はご飯を食べるときにお米をなるべく残さないようにキレイに食べます。
習慣もあるんですが、大学でショックな出来事があったからです。
うちは昔から保有米があり、タイ米を輸入するぐらい不作だったときも国産米を食べ、タイ米を食べることがありませんでした。
その当時、そのことが自慢でした。うちはタイ米なんか食べなくてもいいんだと。
大学に入り、知ったことは日本政府が高い金でタイ米を買い上げたばかりに、向こうの人たちは米が手に入らず飢えたということです。
あげく日本で大量にあまったタイ米は廃棄されました。
あともう一つショックだったのは、世界には世界中の人たちを満足させれるだけの食料が十分にあるのに飢えに苦しんでいる人がいるということを知ったときです。
飢えで苦しんでいる人がいるのは知っていました。
でもそれは食料が不足しているからだと思っていたのです。
自分はなんて愚かな人間だったのだろうと思いました。
だから、私はきちんと残さず食べます。
多少苦しくてもなんて贅沢な苦しみなんだと思います。


自分は正論を言ったと思っています。
でも正論が正しいとは限らないのですね。
そのあと、一緒にご飯を食べるときに叔母は楽しくはなさそうでした。
きちんと食べることも大切ですが楽しく食べてこその食事だとも思っています。
ずっともやもやしています。
もう注意するつもりは全くありません。
嫌な気分だけを残してなんにもならないからです。
食べることに感謝を忘れた飽食の時代の人間はどこに向かうのでしょうか?